無担保スワップの出口価格

ここでは、無担保スワップについて、会計上の公正価値を考える。

会計上の公正価値は出口価格であり、出口価格とは、

・資産の場合は、それを第三者に売るといくら受け取れるか

・負債の場合は、それを第三者に移転するにはいくら支払えばいいか

で決まる。デリバティブの場合は、そのデリバティブを他の会社に譲渡するときに、いくら受け取る、または、いくら支払うか、で決まる。このデリバティブの譲渡のことを、ノベーション(Novation)と呼ぶ。

ここで、銀行Aと顧客Bが無担保で10年の金利スワップを行っていたとしよう。よくあるノベーションのパターンとしては、銀行Aが当該スワップを他の銀行Cに譲渡する、というものである。

(ノベーション前)

銀行A vs 顧客B

(ノベーション後)

銀行C vs 顧客B

このとき、もし、スワップの時価が銀行から見てプラス、つまり銀行Aが勝っていた場合は、銀行Aは銀行Cからその勝ち分に見合った金額を受け取る。

一方、もし、スワップの時価が銀行から見てマイナス、つまり銀行Aが負けていた場合は、銀行Aは銀行Cにその負け分に見合った金額を支払う。

ここで受け払いされる金額が、デリバティブの出口価格である。

有担保の場合、顧客Bはノベーションの前後で、わざわざ担保通貨を変更しようとは普通思わないであろう。

すると、例えばJPY担保であれば、銀行CがJPY担保ベースでスワップ時価を出すと、銀行Aが出したスワップ時価とそれほど違いはないだろう。

問題は、無担保の場合である。この場合、外銀はOIS+xVAで時価を出すが、邦銀はLIBORディスカウンティングで出す場合が多いだろう。

このとき、たとえ銀行Aも銀行Cも外銀であったとしても、xVAのうち特にFVAについては、銀行によって使っているファンディングスプレッドの水準が異なるため、銀行によって時価が異なる、という事態があり得る。

この場合、銀行Aと銀行Cの間で出口価格が異なるという問題が発生する。

さらに、例えば銀行Aが邦銀、銀行Cが外銀の場合、

邦銀はコア預金で調達できているのでJPYのファンディングスプレッドはほぼゼロ、

(よって、FVAに該当する部分もほぼゼロ)

外銀はUSDを元手に通貨スワップでJPYを調達するため、通貨ベーシスによってJPYのファンディングスプレッドはマイナスになっており、邦銀と違って明示的に価格に反映しているFVAも、マイナスになっている可能性がある。

このように、銀行によって、採用しているロジック(xVAを考慮するか否か)や、適用しているファンディングスプレッドが異なっていることで、想定している出口価格が異なる、という事態が発生するのである。

このような場合、計算する銀行によって出口価格が異なり、無担保スワップの公正価値が銀行の数だけ存在することになってしまう。

会計上の公正価値としては、同じキャッシュフローを生む商品は同じ価値でなければならないという、一物一価の考えを重視しているようだが、上記のような例では、明らかに一物一価とはなっていない。

このように、通貨ベーシスやxVAを評価に反映するという、近年のファイナンス理論における評価ロジックは、出口価格や一物一価といった、古典的な会計上の公正価値の考え方とは、相容れないものとなっている。

そもそも歴史的には、通貨ベーシスが拡大してきたころから、

・JPYスワップはLIBORフラットで割り引く

・USD/JPY通貨スワップのJPYサイドは、LIBORに通貨ベーシスを乗せて割り引く

ということが外銀、邦銀いずれでも行われていたので、これはつまり、同じキャッシュフローを生むJPY Legであったとしても、スワップ(の片方のサイド)と通貨スワップ(のJPYサイド)で時価が異なるため、一物一価はとっくに崩れていたわけである。

現在においては、同じ条件のスワップでも、USD担保の場合とJPY担保の場合で割り引きが異なる結果、時価も異なっている。

さらに、xVAが反映される無担保スワップにおいては、同じ条件の無担保スワップにおいても、計算する金融機関によって使用するファンディングスプレッドが異なる結果、時価も異なっている。

このような状況では、一物一価は成り立っておらず、古典的な出口価格の考え方を適用するのは困難であろう。

もっとも、最近では欧州のクオンツが、IFRSにおける公正価値では、会社によって異なるファンディングスプレッドの使用など、各社固有の情報を反映して求めた公正価値も、許容されるのでは?という主張をRisk誌で展開している。

実態としては、各社で異なるファンディングスプレッドを適用して求めたFVAを、外銀は既に会計上反映しているわけなので、古典的な一物一価とはなっていなくとも、それらが公正価値であるとして、実質的に認めてしまっている状態といえる。

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