【論文紹介】ニューラルネットワークのオプション評価への応用【サーベイ論文の翻訳】

はじめに

昨日Twitterでシェアした、以下のサーベイ論文の要点をまとめる。
Neural networks for option pricing and hedging: a literature review
Johannes Ruf, Weiguan Wang
May 12, 2020

この論文では、オプションのプライシング、ヘッジングへのニューラルネットワーク(Artificial Neural Networks; ANN)の応用について、サーベイが行われている。この分野は最近、非常に多くのペーパーが出ており、Risk.netにもよく取り上げられている。特にデリバティブクオンツ界隈で注目度の高いテーマであるといえるだろう。

ANNはインプットを与えると計算結果をアウトプットとして返す関数であり、従来のパラメトリックなモデルによる計算を、このANNで置き換えようというものである。
・プライシングに使う場合は、
 オプション価格がアウトプット
・ヘッジングに使う場合は、
 ヘッジレシオがアウトプット
・キャリブレーションに使う場合は、
 モデルパラメーターがアウトプット

以下では、大筋は論文に従いつつ構成は若干変えて、要点をまとめる。

オプション価格やヘッジレシオへの応用

ざっくりとした全体像

この分野の研究をまとめた表(Table1)が掲載されており、以下の観点で分類されている。
・ANNのインプット
・ANNのアウトプット
・ベンチマーク(比較対象)
・パフォーマンス評価の尺度
・データの分割方法(Partition method)
・原資産価格データ(Underlyings)

Table1の内容をまとめると以下の通り。
・インプットとして、
  ・原資産価格とストライクを別々に使う
  ・その比率であるマネーネスを使う
 の2通りに分かれる。
 マネーネスを使っている研究が多い。
・インプットとして使うボラティリティには
 多くの種類があり、結果はその選択に依存する。
・研究を分類すると、
  ・オプション価格を求めるもの
  ・インプライドボラティリティを求めるもの
  ・ヘッジレシオを求めるもの
 に分かれ、上から順番に論文数が多い。
・手持ちのデータを訓練データとテストデータに
 分ける方法には色々あるが、時系列の情報が
 欠落するような分け方をしている研究が多い。
 その場合、ANNの汎化性能を過小評価してしまう。

インプットについて

原資産価格とストライク

・原資産価格とストライクを分けてインプットに使うのか、
・マネーネスに集約して使うのか、
については、マネーネスを支持する文献が多い。
支持されている理由は以下の通り。
・インプットの数を減らすことでANNの訓練がしやすい
・多くのパラメトリックなモデルでは、
 原資産のリターンの分布が原資産の水準に依存していない。
・マネーネスはstationaryなインプットなので、
 汎化性能の向上、過学習の防止につながる。

ボラティリティ

インプットに使うボラティリティの選択肢は以下の通り。
・ヒストリカルボラティリティ
・VIXなどのボラティリティ指数
・インプライドボラティリティ
・GARCHなどのボラティリティモデルによる予測値
その他、ボラティリティをインプットに使っていない文献もある。

どの種類のボラティリティを使うべきか比較した研究がいくつかあるが、結論の主張はバラバラである。
・ヒストリカルの方がインプライドより良い
・インプライドの方がヒストリカルより良い
・GARCHの方がヒストリカルやインプライドより良い

その他のインプット

文献によっては、その他のインプットを追加するとパフォーマンスが上がるとの主張をしている。例えば、
・建玉
・出来高
・分散
・原資産のリターン

アウトプットについて

ANNのアウトプットは主に以下の4種類に分かれる。
(1)オプション価格
(2)インプライドボラティリティ
(3)感応度やヘッジレシオ
(4)モデルパラメーター

オプション価格

オプション価格を出力するアーキテクチャーが最も多い。少しイレギュラーなものとしては、市場価格とパラメトリックなモデルで求めた価格の差分(bias)をANNで学習している研究もある。これはHybrid ANNと呼ばれる。

インプライドボラティリティ

インプライドボラティリティはその定義から、Black-Scholes式にインプットすればオプション価格が得られる。
Mostafa and Dillon [2008]はオプション価格を出力するANNとインプライドボラティリティを出力するANNを比較している。
Liu et al. [2019b] はBlack-Scholes式の逆関数、つまりオプション価格からボラティリティを逆算する関数をANNで近似している。

感応度やヘッジレシオ

感応度やヘッジレシオを出力するANNの研究はまだ少ない。有名なのはJPモルガンが出したDeep Hedgingの論文(Buehler et al. [2019a,b] )。

モデルパラメーター

オプション価格を入力してモデルパラメーターを出力するANNの研究も多い。これはつまり市場価格をインプットするとそれにフィットするようにパラメーターを決定するわけなので、キャリブレーションしていることになる。

評価尺度と比較対象について

評価尺度

ANNの評価尺度で多いのは以下。
・Mean Absolute Error (MAE)
・Mean Absolute Percentage Error (MAPE)
・Mean Squared Error (MSE)
これらは単一期間の評価尺度だが、多期間に渡って評価するものもある。
・Mean Absolute Tracking Error (MATE)
・Prediction Error (PE)
・Conditional Value-at-Risk (CVaR)
MATEとPEはHutchinson et al. [1994] がパイオニアでその後の論文でよく使われている。CVaRを初めて導入したのはBuehler et al. [2019a]である。

比較対象

ANNのパフォーマンスを比較する相手(ベンチマーク)は、パラメトリックなプライシングモデルである。
・バニラオプションが対象ならBlack-Scholesモデルが多く、それ以外には様々な確率ボラティリティモデルが使われている。
・アメリカンオプションが対象なら、Barone-Adesi and Whaley [1987]の近似解か、BSモデル+CRRの二項ツリー

ここで注意として、
・プライシングが目的で、
・スマイルを反映したインプライドボラティリティをインプットに使った場合、
・Black-Scholesモデルをベンチマークにするのは意味がない。
これは当たり前なのだが、Black-Scholesモデルにスマイルボラティリティを入れると市場価格そのものが返ってくるので、Black-Scholesモデルによる誤差は必ずゼロになってしまうからである。定義により必ず誤差ゼロになるモデルを評価対象にしても、ANNが負けるに決まっているので意味がない。

一方で、感応度やヘッジレシオの計算が目的であれば、スマイルを反映したインプライドボラティリティもインプットになり得る。

他に、Black-Scholesモデルにボラティリティとしてインプットされているものには、以下のようなものがある。
・ヒストリカルボラティリティ(このケースが最も多い)
・ヒストリカルのインプライドボラティリティ
・ATMのインプライドボラティリティ
・ヒストリカルのリアライズドボラティリティ

データの分割方法

ANNは
・まず訓練データで学習して (in-sample)
・次にテストデータに適用してテストする (out-of-sample)
という流れで使うので、手元にあるデータを訓練データとテストデータに分割しないといけない。

分割方法には以下のようなものがある。
・時系列で古いデータを訓練データに使い、
 新しいデータをテストデータに使う (chronological)
・時系列の構造を崩して分割する(例えば odd-even split)
・分布を仮定してそこから独立に取得する

気を付けないといけないのは、金融データは時点によって分布が変わるという点。例えばボラティリティは変動する。対策としてはrolling window methodがある。

対象とする原資産

ANNの訓練データとして、
・シミュレーションで生成した人工データ
・現実のデータ
の両方が使える。よって以下の3通りがある。
(1)シミュレーションデータのみ使用
(2)現実データのみ使用
(3)両方を使用

現実のデータとして使われているのは例えば以下。
・S&P500(これが最も多い)
・FTSE100
・S&P100
もちろん他にもたくさんある。
個別株のアメリカンオプションも研究されている。アメリカンオプションはOptimal Stopping Problemなので訓練のさせ方が異なる。

その他の応用

キャリブレーションへの応用

パラメトリックなモデルのパラメーターを市場価格に合うように求めること、つまりキャリブレーションにも応用されている。
パラメトリックなモデルを使う場合、以下の2段階でオプション価格を求めることになる。
(1)市場価格は、パラメトリックなモデルにマッピングされる
(2)そのモデルを使って、オプション価格を求める
この(1)の段階がキャリブレーションであり、そこにANNを使う。

パラメトリックなモデルを使わずに、直接オプション価格をANNで求めるアプローチと比較して、上記のようにパラメトリックなモデルを使って2段階で求める方法の長所は、以下の通り。
・アウトプットの解釈 (interpretability) がしやすい。ANNに置き換わるのはキャリブレーション部分のみだからである。
・ANNと違い、少数のパラメーターでオプション価格を求めるので、過学習を防ぎやすい(正則化)。
・モデルパラメーターからオプション価格を求める計算が高速なモデルを使えば、時間のかかる学習がキャリブレーション部分のみになる。

キャリブレーションの研究で対象とされているモデルには、以下のようなものがある。
・Vasicekモデル
・Hull-Whiteモデル
・(色々な)確率ボラティリティモデル
・(色々な)ラフボラティリティモデル

偏微分方程式(PDE)を解く

オプション価格を求める作業はPDEを解くことに帰着する。このPDEの解となる関数をANNで近似しよう、という発想である。
この分野のパイオニアは Barucci et al. [1996], Barucci et al. [1997] で、Galerkin method を使ってBlack-Scholes PDEを解いている。

PDEの解法としてANNを使うモチベーションとしては、高次元の問題に対応したい、というものがある。PDEはファクターが4つ、5つ、と増えてくると対応するのが困難になってくるため、XVA計算など、ファクターが多すぎるとモンテカルロシミュレーションを使わざるを得ないケースが多い。そこで、高次元のPDEの解法としてANNを使った文献には、E et al. [2017], Han et al. [2018] がある。彼らはPDEを後退確率微分方程式 (BSDE) に書き直してから、知りたい関数の勾配をANNで近似している。この方法は高次元のPDEを解くのに有効と考えられている。

最適制御問題における価値関数の近似

動的計画法の価値関数をANNで近似しようというものである。応用例は以下の通り。
・(高次元の)アメリカンオプションのプライシング
・リアルオプションのプライシング
・取引コストなどで摩擦のある市場でのプライシングやヘッジング

論文著者おすすめの文献

このサーベイ論文の著者がおすすめしている文献の一覧は以下の通り。各分野のパイオニア的な文献がピックアップされており、研究の大まかな流れを押さえるのによい。ネットで見つかった論文については、リンクを貼ってある。
Hutchinson et al. [1994] オプションプライシングにANNを適用したパイオニア。ヘッジの多期間パフォーマンスを評価する方法を初めて導入。
Lajbcygier and Connor [1997a] モデルプライスとマーケットプライスの差分を学習する方法を初めて提案。
・Anders et al. [1998] 様々な種類のボラティリティを用いて、ANNとBlack-Scholesモデルのパフォーマンスを比較。
Garcia and Genc¸ay [2000] 金融ドメインの知識をANNのアーキテクチャー設計に初めて活用。
Carverhill and Cheuk [2003] ヘッジレシオを出力するANNを初めて提案。
・Bennell and Sutcliffe [2004] サーベイ論文。
・Chen and Sutcliffe [2012] サーベイ論文。
Hahn [2013] サーベイ論文。
Dugas et al. [2009] 無裁定条件を満たすようにANNのアーキテクチャーを設計した最初の論文。
Andreou et al. [2010] パラメトリックなモデルのパラメーターを出力するANNを初めて提案。ANNを初めてキャリブレーションに応用した論文。
Buehler et al. [2019a] 取引コストのある前提でポートフォリオのヘッジにANNを初めて応用(Deep Hedging)。